「魂磨き」「心磨き」「進化向上」「進化成長」「霊性進化」など様々な言い方、学びがあると思いますが、すべてに共通しているのは人間として生きていく上での学びだと思います。
これまでの人生において、お世話になってきたメンターや先生方にあらゆる角度からの教えをいただき、その教えを自分自身の現実に照らし合わせ、日常に落とし込むことで、自分の思考の働き方、癖、感情の動き、観念、物事の捉え方の傾向性、判断基準、価値観、自分の枠などを知っていくことができました。
むかしスピリチュアルな学びの中で、高次元存在からのメッセージはとても繊細で、とても微かだからよく心を澄まして耳を傾けないと受け取れない。と教わりました。
日本の教えの中には「空」というものがあります。
高次元から受け取るという部分に関して言うと、突き詰めたところでは同じことを言っているように思います。
それは宇宙の真理に基づいた高次元存在の声、思考、ビジョンやイメージを受け取っても、自我(エゴ)の声で搔き消されてしまうからです。
人間には選択の自由があります。
様々な選択肢の中から、自分の思考パターン、思い癖、価値観、無意識の反応によってチョイスするものが個々に異なります。
それは環境や体調によっても異なります。
例えば
家で楽しくゆったりした気分のときと、仕事と家事に追われている時では
電話1つ捉え方が異なってきます。
気持ちよく電話に出られるのか、もー忙しいときに!と出るのか。
誰もが幸せになりたい
善人と言われる人も悪人と言われる人も、それぞれに思う幸せの願望があります。
ある方向性への願望は、喜び、楽しさ、愛、慈しみなどが基にある利他的なもの。
ある方向性への願望は、誰よりも裕福になりたい。誰よりも〇〇でありたい。〇〇したい。自分が秀でたいと利己的なもの。
どちらも幸せになりたいという願望がそうしているのだと思います。
不幸になりたくない。幸せになりたい。でも現実が違うと思うことで、羨んだり、妬んだり、被害者意識に囚われたり、人や環境のせいにしたり。
人の不幸は蜜の味と子供の頃聞き、その頃はよく分からなかったのですが、今はその真意が理解できるようになりました。
誰かの辛い状況を目の当たりにして、同情しているようで他人事であり、無意識に比較して自分を肯定する。優越感を得る。安心感を得る人もいます。自分の状況、立ち位置、環境、関係性などを鑑みて悦に入る人もいます。
むかし被害者意識の強かった私は、不幸自慢の極みみたいな人間だったのですが、私より不幸な人はいないと言わんばかりに幸せになれない理由をいくつも挙げ、いつも「私なんて○○だよ!」と相手より自分の方が酷いと豪語し、同情してもらいたくて、かつ可哀想な私を肯定して、健気に生きていることが美学のような思考で痛々しい可哀想な人でした。
そんな私が自分と向き合うようになって教わった1つに
「人の幸せを喜べて応援できる人は自分も応援される人になる」でした。
教えていただいた当時は素直に応援できず、妬みや嫉妬、被害者意識が沸々と沸き起こり、口では応援しているようなことを言っても心の中はネガティブな気持ちで押し潰されそうでした。
今は人の幸せを願い、応援することはお互いの良き未来に繋がっていると確信しています。